「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉を、年配者から聞いたことがある人もいるだろう。この言葉の背景には、若い頃の苦労が将来の糧になるという考えがある。この古くからの格言は現代社会においても通用するのだろうか。
私の考えでは、むしろ不必要な苦労は避けるべきだと思う。なぜなら、現代社会には無意味な活動があふれているからだ。例えば、暗算の能力を極めることを考えてみよう。かつては重宝された能力かもしれないが、コンピュータが普及した現代では、その価値は大幅に低下している。計算はテクノロジーに任せ、その時間を他の生産的な活動に充てる方が賢明だ。
また、伝統的な職人の世界でも同様のことが言える。例えば、寿司職人の修行について考えてみよう。長年の徒弟制度による非効率な学習よりも、専門学校や大学でノウハウを体系的に学ぶ方が、現代のニーズに合っている。
ここで重要なのは、「苦労」と「努力」を区別することだ。苦労とは単に精神的・肉体的に苦しい経験を指すが、努力とは目標達成のための意識的な行動を意味する。確かに、努力の過程で苦労することはあるだろう。しかし、苦労そのものを目的とする必要はない。人生には自然と困難が訪れるものだ。わざわざ苦労を求める必要はない。
時として、苦労を経験すると何か大きな成果を上げたような錯覚に陥ることがある。しかし、これは単なる思い込みに過ぎない。苦労したという事実だけでは、実際には何も達成していないからだ。
人生は有限であり、1日は24時間しかない。そのため、効率的に時間を使うことが非常に重要だ。必ずしも役立つとは限らない苦労に時間を費やすよりも、明確な目標を持ち、それに向かって効率的に努力することが大切だ。