スルー力という言葉を聞いたとき、多くの人は「誰かに嫌なことを言われても反論せずにやり過ごす能力」と解釈するだろう。確かに、これも一種のスルー力ではある。しかし、最近になって私は、真のスルー力とは別の意味を持つのではないかと考えるようになった。
真のスルー力とは、自分にとってどうでも良い他人の言動や存在そのものを、そもそも気にも留めない能力のことではないだろうか。これは単に嫌なことを言われた時に反応しないというだけでなく、そもそもそういった状況に心を動かされないという、より根本的な態度を指している。
私自身、最近になってこの「真のスルー」が少しずつできるようになってきた。そして、この能力を身につけていくにつれ、対人関係や日々の生活が驚くほど楽になっていくのを実感している。
例えば、以前は電車内で誰かが大声で話していたり、歩きスマホをしている人とぶつかりそうになったりすると、すぐにイライラしていた。そういった他人の行動に対して、心の中で文句を言ったり、時には実際に注意したりすることもあった。しかし今は、そういった出来事を「ただそこにある現象」として受け止められるようになってきた。
この変化は、人間全般に対する関心が薄れてきたことと関係があるように思う。これは人間嫌いになったということではない。むしろ、一人一人の人間が持つ固有の価値を認めつつも、自分の人生に直接関係のない人々の言動に過度に反応しなくなったということだ。
この態度は、ソーシャルメディアの使い方にも影響を与えている。以前は、知らない人の投稿に対しても強い感情を抱くことがあったが、今はそういったコンテンツをほとんど気にせず、本当に自分にとって重要な情報だけに注目できるようになった。
もちろん、全ての対人関係や社会的相互作用を無視するべきだと言っているわけではない。家族や親しい友人、仕事上の重要な対人関係などは、むしろこの「スルー」の対象から外すべきだ。真のスルー力は、それらの本当に大切な関係により多くの時間とエネルギーを注ぐために、それ以外の部分で心の余裕を作り出す技術とも言える。