創作の限界:無から有を見出せる人間はいない

創作された作品を鑑賞する人の中には、創作行為に対して神秘的なイメージを持つ人がいる。その中の一つに「無から有を生み出す」というものがある。

創作行為に神秘的なイメージを持つ人は「創作に関して特殊な能力を持つ人は、他人の真似などしない」「彼らは、神の奇跡のように、何もない場所から素晴らしい作品を生み出す」と考える。

また、彼らは「無から有を生み出せないクリエイターは偽物である」とも考える。クリエイターの中にもそのような考えを持つ人がいて「無から有を生み出せない自分は無能だ」などと嘆いたりする。

私は彼らの考え方は完全に間違えていると思う。なぜなら、創造性とは情報の組み合わせだからである。すべての人間はそれまでの人生で見聞きした情報を組み合わせ、他の何かを作っているにすぎないのである。そのようにして作られたものを見た一部の人が無から有を生み出したかのように錯覚をしているだけなのである。

このことは、何の情報も利用していない「完全なオリジナル」だと感じる作品を1つ挙げてみればわかる。どのような作品であろうと元ネタは必ず見つかる。完全なオリジナルだと感じたのはまだ経験の浅い子供の頃に見た作品だからだ。

鑑賞者が創造性に対してどのような考えを持つかは自由だが、ものを作る側の人間は「無から有を生み出す」などと言った非現実的な考えを持つべきではない。そのような考えに囚われると自分を無能と責め続け、精神を病むことになる。

一部の鑑賞者からどれだけ非難され蔑まれようと、現実的に考え、冷静に対処することが大切だ。